「発酵、熟成、タイムマシン」 会田大也(アーティスティック・ディレクター)
こんにちは!
昨年9月の岡江真一郎さんを迎えてのLive「eat shin」、こちらのテキストを会田さんが執筆してくださいました。
テキストぜひ読んでくださいね〜。
「発酵、熟成、タイムマシン」 会田大也(アーティスティック・ディレクター)
私の勤めるアートセンターでは、作品保管は行わないが、活動の記録や動態保存といったアーカイブを充実させる取り組みを行っている。一般的に美術館と呼ばれる施設においては、来場者へ作品を見せるということの他に、保管は重要なミッションの一つであり、多くの美術館がそれなりの設備費をかけた保管庫を備えている。作品を未来に届ける使命は、人間の不完全性と関係がある。今ある作品の価値を現代において完全に把握するのは不可能だから、未来の人々へなるべく良い状態で保存し届けることで、将来その価値が拓く可能性を担保するという訳だ。きちんと保管されていなければ、ヴィンセント·ファン·ゴッホの「ひまわり」も伊藤若冲の「群鶏図」も現代には遺されていない。もし人間の知能が完璧であり、価値を余すところなく消費し尽くすことができたなら、作品を保管する必要は無かったのかもしれない。しかし歴史から伺えるのは、作品について同時代的指標から人類にとっての文化的価値を理解し尽くすというのは、かなり難しいことである。
ところで、あまり機会があるわけではないが、熟成寿司なるものを食べたことがある。魚を熟成させ寿司にする、というものだ。店の大将曰く、毎日ちょっとずつ味見をしながら、腐り始める直前まで熟成させて寿司ネタに用いることで、他で味わえないような美味しさを引きだしているとのことだ。1ヶ月近く熟成させたと言われ出されたネタは、新鮮な魚介類とは一線を画してねっとりとした舌触りで、うま味が高まりそれまで食べたことのない味わいであったことが印象深い。魚だけでなく肉についても「エイジング」と呼ばれる熟成方法が流行のようである。風を当てるドライエイジングや真空パック中で熟成させるウェットエイジングなど色々な方法があるようだ。
発酵や熟成と呼ばれる技法は、微生物や酵素の働きによって肉の質を変化させてうま味を高めるやり方であるが、肉からみれば時間が経過して腐る過程であり、人間にとって都合の良い部分を発酵や熟成と呼んでいる訳である。人間の進化の過程で大きくなった脳、そしてそれを保護する頭蓋骨が重たくなったことが先なのか、それとも結果的に脳を大きくせざるを得なくなったのか、どちらとも言えるだろうがとにかく、一日に1回以上食事をすることを前提とした内蔵の構造があり、それに従った生活サイクルが形成された。逆に言えば、人の体は一度の食事で数日活動できるようには出来ておらず、大きな獲物を獲得できた時や大量の作物を手に入れた時でも、それを胃の中に全て放り込むことはせず、何とか数日後の食事へと変換させる必要が出てきたのだ。
数日後まで食料を保存するというのは、冷蔵庫を持つ現代の日本では当たり前のことに感じるが、もし食料の保存ができないと想像するとそれなりに恐ろしい。また、穀物のように貯蔵が容易ではない食料を主食とする生活もちょっと想像が難しいかも知れない。例えば魚を主なカロリー源とする電気の無い孤島での生活は、安定的な漁が出来なければすぐに飢えてしまうだろう。食料を熟成させたり発酵させたりすることで保存することは、食べる時間を未来に先延ばしするという意味でタイムマシン的である。今手元にある食料を、タイムマシンに載せて未来に届ける行為とも言えないだろうか。
現代美術は同時代的に今を生きているアーティストが生み出している作品を取り扱うジャンルだ。歴史の検証を経て価値が確定した作品と異なり、もしかしたらただのゴミかも知れないし、もしかしたら未来の傑作かもしれない。そのことは現代のモノサシだけで測り切れるものでもない。故にタイムマシンに載せて未来へ届ける必要も出てくる。届けかたは一様ではないが、美術館以外の場所でも色んな形で試されるべきだろう。文化の発酵を標榜するcotも、その重要な一端を担う存在と言える。 (2023.2.25)